『骨董品、目利きへの道』 その2
江戸時代唯一の海外貿易の基地は、長崎の出島で、当時オランダのみに、開国貿易を許されていたのですが、その取引の具体的交易品は、『金銀の取引』と言われています。具体的数値は、省きますが、ようするに当時海外の純金評価と日本国内が大きく食い違っていました。日本の銀換算金評価額が安かったので、銀と金の交換が行われていたと察します。黄金の國ジパングの名残?。その後、世界経済の流れは、『金銀の争奪⇒産業革命(奴隷の争奪)⇒石油の争奪(戦争)』概略移行するのですが、歴史を多角的包括的に理解するのも『目利き』への条件です。歴史のエポックメーキングの発見は、『お宝捜し』の第一歩です。お引越、倉庫整理、遺品整理、古道具、骨董品等などを処分される際は是非いちど、古美術 一休堂までご相談下さい!。
2016年09月17日(土)