『火花』未不読。龍之介『杜子春』再読
約四十数年ぶりに、あらためて芥川龍之介の『杜子春』を読みました。小学校6年生時に、『読書感想文』の課題図書として読んだ時とちがうような感想をいだきました。当時子供時代の自分自身が、お金に対する幻想が全く違いました。お金持から貧乏に転覆するという意味が概念的とらえられても、実際の体験が全く無い訳で、例えば、無駄使いさえしなければ、お金持ちのままなのに?。しかし、今お金を使う事の難しさを知った歳になり、この作品を読んでみると。『虎は死して、皮残す』『龍之介は死して、無常という宝を残す』今世間は、『戦争法案?』に混迷していますが、その辺の答えは、この本に有るのでは? 古典が古典で有り続ける理由があるのではないかと思います。お引越、倉庫整理、遺品整理等、古道具などを処分される際は是非いちど、古美術 一休堂までご相談下さい!
2015年07月24日(金)